ときどきミュージックスターマインとはなんなんだろう、と考えることがある。 割とハッキリ「素晴らしい」「あんまりだな」とか思ったりするけど その要因はどこにあるのかが自分の中であまり明確になっていない。 花火は無心で見てるけど自分の心の中に起きる感動の正体は一体なんだろうと思う。 花火師もよくわかってないんじゃないかと思うことがある。
ミュージックスターマインという言葉からすると、スターマインが揚がって同時に音楽が 流れていればそれで要件は満たしそうだが、実際にはスターマインと音楽の組み合わせには 様々なパターンがあるようだ。
前者をミュージックスターマインと呼びたい。 後者は特に何の考えもなく花火に流行歌を重ねているものなど。 都市型花火大会によく見られる。 個人的にはシンクロの意図がないのであれば音楽は無くてもいいと思っている。 ただそういったものでも偶然シンクロ感が発生することはある。 また煙火店の実力不足で、前者のつもりが後者にしか見えない場合もある。 長岡のフェニックスや尺100のようなそこまで厳密にタイミングを合わせていないものは どういう扱いになるだろう。 面白いものとしては、三国の二尺や諏訪湖フィナーレのように生演奏で 奏者が花火を見ながら音楽を合わせていくものがある。
型物連打のBGMで童謡や子供向けの曲が流れたりするものは タイミング的にはシンクロしてなくても曲調的にはシンクロしている。 これはミュージックスターマインの範疇に入るだろうか。
総合芸術とは。
コトバンクより引用(一部)。
総合芸術 そうごうげいじゅつ composite arts
音楽,絵画,建築,舞踊など複数の分野の芸術の混交によって創造される一つの統一的な芸術。たとえば演劇,オペラなど。
goo辞書より引用。
そうごう‐げいじゅつ〔ソウガフ‐〕【総合芸術】
各種の芸術の要素が協調・調和した形式で表出される芸術。楽劇・映画など。
この定義によるとミュージックスターマインは明らかに総合芸術である。
海外発祥?の音楽+花火のシンクロ装置と、日本の高品質な花火玉の組み合わせによる高度な世界。 「シンクロ点火装置の導入」と「高品質な大玉の製造」では後者の方がはるかに難易度が高いため、 日本のミュージックスターマインは世界においても圧倒的な存在であると思われる。 Youtubeなんかで海外の花火動画を見ていると、一見派手なように見えても、 よく見るとほとんどが花束・トラ・キャンドル等のトラ・ザラ星等で、上空に上がる割物は小さくて質が悪い。 日本の大型ミュージックスターマインと比べると上空が寂しく、低いところで遊んでいるだけのように見える。 ただしトラ・ザラ星等の使い方に関しては海外にも見るべきものがある。
海外の花火ファンサイトの書き込みなどを見ていると日本だけ別リーグという意見が見られる。 日本の割物の大きさ・質の高さは世界でも別格で、これがミュージックスターマインに 用いられるのが大きな特徴。
映画や舞台などの総合芸術では、それそのもののために楽曲が製作されることも多いが、ミュージックスターマインの場合は 予算の都合もあり、他の分野の曲を流用することがほとんど。花火のために作曲するということはまずない。 そのため選曲という作業が発生する。 この作業は、センスも経験も要求される極めて重要な作業である。…はずなのだがどうも軽視されている気がする。
もし花火のために作曲するのであれば音楽の方を花火にフィットさせることができるが、 すでに存在する楽曲の中から選ぶというのであれば花火の方が音楽へ歩み寄るほかない。 そうすると自分の持ち玉が歩み寄れる範囲の楽曲であるかという判断は最低でも必要になるはず。
煙火店にもよるが、その年に流行った曲を使う傾向がある。最近だと2014のレリゴーが顕著だった。
花火に向いている曲というのは一体どういったものだろう。3分程度であれば単調でもいいが、 5分以上の大作の場合は起承転結のあるドラマチックな展開の曲のほうが良い気がする。 わかりやすいところで言うと「Question of Honor」が良い曲、「Hey Jude」が悪い曲。 まあHeyJudeは普通に聴いても退屈な曲だけども。 そもそもポップスというジャンルには大作にふさわしい曲は少ないんじゃないか? という疑問もあるけど赤川のエンディングだけ見てるとそうでも無い気もしてくる。
単体では単調になりやすい曲は短く編集されて使われることが多い。
大作の場合は複数の曲を繋ぎあわせて使うことも多い。 組曲等がそのまま使われることはほとんどないようだ。 ホルストの組曲惑星の1曲である「木星(ジュピター)」は花火向きの曲でありよく使われているが、 惑星の他の曲と繋いだパターンは知らない。他の曲はあまり有名ではないこともあってか、 実際には「火星」くらいしか使われているのを見たことがない。
曲の繋ぎ方に疑問を感じることもあり、特にジャンルがバラバラなときにそう感じる。 名古屋港のメロディ花火は違和感しか感じない。
ミュージックスターマインが芸術作品たりえるために重要な要素だと思う。 楽曲のリズムを適当に拾ってトラや花束とかのトラ・ザラ星等を合わせて上も適当に揚げていれば それでまともな作品になるのだろうか、と考えてみると多分無理な気がする。 リズムはハッキリしたものだから、ミュージックスターマインである限りは多少なりとも合ってはいるものだが、 リズムは合ってても中身ゼロと感じられる作品がある。
曲調を合わせるというのは、考えてみると、どうもそれほど単純ではないようだ。 簡単な例だと「暗い曲調には暗い花火を、明るい曲調には明るい花火を」となるが、 まず音楽自体がそんな単純なものでない。音楽は芸術であり、 ある楽曲がある場面においてどのような表情をもっているのかということ、 そしてそれをどう理解し受け止めるのか、という受け取る側の素養を要求する部分がある。 つまり花火表現の前に楽曲理解という段階があり、その人の感受性や経験に依存する。
トラ・ザラ星等では発射タイミング≒開花タイミング。
最初から最後までタイミングをずっと合わせ続けるようなスターマインは疲れる、という意見がある。 たしかにそういった面はあるかもしれない。 良いスターマインでは合わせるパートと合わせないパートを巧みに切り替えているようだ。
スターマインのサイズでスピード感が違うように感じられる。 これはミュージックスターマインに限らない。 尺玉を含むような大型スターマインはゆったりした感じがあり、 小型スターマインはスピーディーに感じられる。 これには「花火と観客の距離」や「花火玉の上昇速度」といった制御困難な要素が影響していると思われる。 しかし大型スターマインであってもスピード感を出すことは可能で、 それはトラ・ザラ星等や小玉を巧みに使うことによって実現される。 現在、最もハイレベルで実現しているのは紅屋青木煙火店であると思われる。
ゆったりしたトラ打ちについて考えさせられたのは2009酒田のフィナーレ。 とても感動したので、よく検証する必要がある。 あんなにゆったりしてなお効果的なトラ打ちは初めて見た。 トラと言えば大抵は一斉打ちかババババッと連続的に高速で打つのが普通。
発射音も音には違いない。上のシンクロと繋がる話。あとでまとめよう。
尺玉等をサプライズ的に見せたい場合に、破裂音で発射音をマスクして(もちろん曲導なしで) 揚げる場合がある。 発射音がほとんど聞こえないので何の前触れもなく夜空に大輪の花が咲き、驚きがある。
僕はミュージックスターマインは映画や舞踏のような総合芸術だと思っている。 いいミュージックスターマインに出会うと不思議と涙がでてくる。 ところが花火単体・音楽単体ではなかなかそこまではいかない。 花火と音楽の相乗効果というのは確かに存在し、両方あって初めて到達できる領域というのがあるように思う。 お互いに影響を及ぼし合っていて、花火が音楽の感動を高めると同時に音楽が花火の感動を高めている。
人間には5感があるが、ほとんどは視覚と聴覚の2つから情報を得ているという。 どこかの研究によると視覚が83%で聴覚が11%、つまり人間はほとんど視覚から情報を得ていることになる。 花火は視覚と聴覚の両方だがどちらかと言えば視覚寄り、音楽は聴覚のみ。 花火と音楽を組み合わせることで同時により多くの感覚を刺激することができる。