とりとめもなく書いてみる。不定期更新。
結構な確率で競技結果には違和感を覚える。 とりあえず野村選んどけば、みたいなものを感じなくもない。
ほこたて?だったかの番組で、花火マニアや花火写真家が 尺多重芯割り物の作者を当てるゲームをやっていて、見事に外していた。 この番組はやらせだかなんだかの問題で終了したので、このゲームが公正に行われたか どうかもよくわからないが、僕も当てる自信はあまりない。 実はかなり花火見てる人でも、あまり区別がついてないんじゃないかという疑問がある。
という昔からある評価軸。微妙な感じがしなくもない。 座りと盆は相関があるのでまずこれが微妙。 天下り的なものにはとりあえず疑問を感じてみる。
超多重心の場合には芯同士の距離がどうしても近くなるため、芯の視認性向上のために ギトギトした配色がなされることが多々ある。それでいいのだろうか。 競技会に出品されるような多重芯菊を見ていると「色彩的に美しくない」と感じることが結構ある。 本来花火というものは、その美しさによって観る人に感動を与えるのが最大の目的だと思うのだが、 「芯をくっきり見せるため」という捻じ曲がった理由のために本来の目的を見失っているような気がしなくもない。 芯が多くて形が整っていれば色はどうでもいいのだろうか。
自由玉で多重芯の変化球が揚がったりして、配色が「黄→橙→赤」系だったり 青系でまとめたりするのをみて「こっちのほうがいい」と思うことがよくある。
四重芯以上ともなると開き始めてから消えるまで、 全ての芯が同じタイミングで光り始めたり消えたりしないのがよくある。 数えてみると四重芯だけど、同時には3つくらいしか光っていなかったり。 野村花火工業の多重芯は開いた瞬間から最後消えるまで多重芯に見える。
煙火店によって結構違いがあり、等間隔のところはあまり無いように思う。 磯谷煙火店が等間隔のイメージ。基本的には外側にいくほど芯と芯の間隔が少しずつ広がっていくのが多い気がする。 山崎煙火は最外芯と親星がかなり離れていて結構個性的。 間隔については良し悪しの基準も聞いたことがなく、 各審査員の好みによるか、そもそも無視されているかもしれない。
芯が多いほど製作難易度が上がり、その分評価もが高くなりやすい。競技会では三重芯以上が基本。 ただ難易度が高いからと言って綺麗だとも、観る人が感動するとも限らない。 競技花火の「いびつさ」というものを1番感じるポイント。 競技というのは技術力競争であって美しさを競ってるのではないのだなと思うこと度々。
磯谷煙火店は三重芯こそが尺の多重芯におけるベストバランスだと信じているように思える。 実際の玉を見ると確かに説得力がある。
私はどちらかというと現金な人間で、作るのが大変とか技術力が必要とかいうのはどうでもよく 目に映ったものが美しければそれでいいので、 また芯が多ければ多いほど美しいと感じるわけでもないので、疑問を感じることが多い。
芯の数が多くなるほど割りの弱い、貧弱で小さい玉になる傾向がある。 ただし、山崎煙火のように四重芯でもかなり大きく開くところがある。
多重芯競技は「工芸(クラフト)」であって「芸術(アート)」ではないのだろう。 職人芸を競っているのだ。単なる精度競争的な。 創作玉(自由玉)の方がアートであると言える。